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宝くじの歴史を探る!江戸時代のお寺で始まった宝くじの原型とは?

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こんにちは。いちおくです。

 

毎回宝くじを買っていてふと気になったのですが、そもそも宝くじっていつから始まったんでしょうか?

気になってしまったのでその歴史を調べてみました。

 

実は江戸時代にさかのぼる深い歴史があることがわかり、とても面白い結果となりました。

毎年「今年こそは当たれ…!」と願う宝くじ。

せっかくなら、毎年必ず1等10億円が出ている売り場で買いたくないですか??

実は、東京の「西銀座チャンスセンター」で宝くじをあなたの代わりに買ってくれる「購入代行サービス」というのがあるんです。

この売り場で宝くじを買った誰かに必ず10億円が当たっています(5年連続)

遠隔地にお住まいだったり、大行列に並ぶのが面倒な方は要チェック。

10億円あったら何に使うか考えておきましょう!

目次

宝くじの源流は江戸時代にさかのぼる

瀧安寺宝くじの元となったのは江戸時代に大阪の瀧安寺(りゅうあんじ)というお寺で始まった「富くじ」とされています。

これはお正月にお寺に参拝した人の中から3名を選び、「福運のお守り」を授けたことが始まりとのこと。

記録では1624年頃にはこの富くじが発行されていたという記録があるので、400年間の歴史があるってことですね。

いちおく
すごい!

 

最初はお守りが賞品だったのですが、しだいにお金が賞品に変わっていき、お寺の資金源として広まっていきました。

 

そして1692年、あまりに富くじが広まってしまったため「人心を乱す」として、徳川綱吉が初めて富くじの禁止令を出しました。

しかし、当時の江戸幕府は財政難だったためお寺の修理資金援助ができませんでした。

そのため、幕府はお寺だけには例外的に富くじを発売することを許可し、これが幕府公認の富くじとなったわけです。

 

ところが!

この幕府公認の富くじも天保13年(1842年)の天保の改革によって禁止されてしまいます。

戦争中に宝くじとして復活

禁止されていた富くじが復活したのは1945年のことです。天保の改革から約100年後ですね。

当時戦争中だった日本は軍事費が不足しており、一般大衆から賄うために「勝札」という名前で富くじを発売しました。

しかし、8月の抽選を待たずして敗戦が決まってしまい、「負札」という恥ずかしい異名を付けられることになってしまいました。

 

現在のスタイルとしての宝くじが初めて発売されたのはその2か月後(早っ!)の1945年10月。余程当時の日本は資金が足りなかったと見えます。

ちなみに発売当時の1等賞金は10万円でした。

ジャンボ時代へ

現在のような「ジャンボ宝くじ」が初めて発売されたのは1979年のサマージャンボ。1等賞金は2,000万円でした。

そして翌年の1980年からドリームジャンボ・サマージャンボ・年末ジャンボの3大ジャンボ時代がスタートしました。

 

そして1994年の「阪神・淡路大震災復興協賛宝くじ」で初めて1等賞金に1億円誕生。

2015年の年末ジャンボで1等賞金10億円となり現在に至ります。

いちおく
賞金はどんどん増えているんだね…
シロヘビ先生
その通りじゃ。

まとめ

最初はお守りが賞品だった宝くじが、いつの間にかお金を賞品にするように変わっていたり、発売当初は1等賞金が10万円だったり、色々面白い発見がありました。

宝くじを買うときはこのような歴史に思いを馳せてみると、高額当選への道が開けるかもしれませんね(笑)

では!いちおくでした。

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